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PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 6/2 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

最も偉大な風景画家

「人の好みは説明できない」と、諺は言う。少なくとも芸術に関する限り、これは確かに真実である。現代芸術を好きな人もいれば、一方で古代の巨匠の作品を好む人もいる。しかし、風景画に関して言えば、ジョゼフ・M・W・ターナーは、確実に、最も偉大な画家の一人である。

ジョゼフ・ターナーは、1775年4月23日、ロンドンに生まれ、現代では、世界で最も偉大な風景画家の一人として認められている。父親は理髪師だったが、ジョゼフ自身は、生まれつきの芸術家であったようだ。ジョゼフは、ほとんど学校に通わなかったが、13歳になるまでに、彼の絵はすでに、販売のために展示されるほど良いものになっていた。1802年、26歳の時、彼は王立美術院のメンバーに選ばれた。フランス、ドイツ、イタリア、スイスなどいくつかの諸外国の旅行を通して、その教養は深まり、偉大な傑作に触れることができた。

ターナーはどこに行っても、あらゆる種類の天気の海と空をよく見た。目に見えたものだけを描くのではなく、風景を、自身の内部の感情の表現へと変えた。彼は、「顔を太陽に向けて」絵を描いたと言われている。実際に、その絵は、温かな光に満ちているように思われ、それによって、絵の中の陸地や建物や空は輝いている。

興味深いことに、ターナーは、それほど特別な人間というわけではなかった。絵が成功して人気が出たにも関わらず、いや、むしろだからこそ、ターナーは、徐々に一人で過ごす時間を持つようになった。彼は生涯結婚しなかった。話をする親しい友達もいなかった。17.王立美術院の集まりに参加することも途中でやめてしまった。時に、知り合いの誰もが、彼のことを何カ月も見ないことがあった。彼は旅を続けたが、常に一人だった。ついに、彼は1851年12月19日に、孤独な死を迎えた。ロンドンのセントポール大聖堂に埋葬されたが、そこは彼自身が選んでいた場所だった。

セントポールに埋葬されたが、彼は、その作品の中に生き続けている。彼は、光と色と空気の研究の先駆者であり、水彩だけでなく油彩でも、絵を描いた。彼はわたしたちにあらゆるテーマで何百もの美しい絵を残してくれた。その中には、田舎の日の出、海の吹雪、古代の城、燃える船、ギリシャ神話がある。それらは、多大な努力の結果である。旅行中に、約19,000枚のスケッチを描いた。あるとき、彼の乗る船が、海でひどい雪嵐に遭遇したことがあり、そのとき彼は船員に自分を船に、風が吹き荒れる戸外で結びつけるように言った。光と闇の戦いを観察するためである。その経験によって、彼の傑作の一つである「吹雪」が生まれた。

PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 6/1 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

百聞は一見にしかず(?)

円を描いてみよう。そこに何が見える? 単に丸くて白い図形が見えるだろうか。雪玉のように、もしくはひょっとして、月のように見えるだろうか。あるいは、500円や1ユーロ硬貨を思い出すだろうか。人によって、見えるものは違ってくる。

「見かけは当てにならない」という古い諺がある。しかし、「見ることは信じること」という別の有名な諺についてはどうだろうか。それは全て、頭と想像力の使い方次第なのだ。もし昨晩満月を見ていたら、その円は月のように見えるかもしれない。もしも最近雪だるまを見たり作ったりしていれば、それは大きな雪玉に見えるかもしれない。

私達が物や出来事を見る状況は、私達の考え方や見方に影響を与える。もしナイフやフォークや箸がその円の隣に置かれていたら、当然にその円を皿だと思うだろう。もしもバットやラケットやサッカーのスパイクが隣に描かれていたら、その円をテニスボールや野球の球やサッカーボールだと見るかもしれない。

同様に、月をじっくりと見ると、ウサギの形を見る人もいる。このことから、1000人が単純な図形のようなものを見ると、それが何であるかについて1000通りの異なった解釈をする、ということが分かる。ある状況では、私達の目はそれ自体がだまされるように思われる。もっとも有名な錯覚の一つは、蜃気楼である。暑い砂漠にいるとしばしば、そこに実際に無いもの、たとえばオアシスや人や村を見る。さて、次の図形を見てもらいたい。

もしこの二つの円が同じ大きさでないように見えたら、あなたは騙されていることになる。信じようと信じまいと、これらは同じ大きさなのだ。次の二つの円を取り上げてみる。一つは背景を黒にした白い円で、もう一つは背景を白にした黒い円だが、黒い円の方が大きいように見えていないだろうか? そう、実は違うのだ。測ってみれば、どちらも同じ大きさだということが分かる。目によってだまされる例がもう一つある。

次の絵を見てもらいたい。フォルダーの左側があなたに向かって開いているように見えるだろうか、それとも閉じているように見えるだろうか。それは、あなたが初めに内部を見たか外部を見たかによって左右される。

それぞれの絵に立方体はいくつあるだろうか。一方には3つ、もう一方には5つ? このページを逆さまにしてもう一度数えてみると、どうなるだろう。結果が逆になったように見えるだろう。気がつかないうちに、私達は、ものが上から光を当てられていると思ってしまっているのだ。

これらの全てから、結局のところ、「見ることは信じること」と「見かけは当てにならない」のどちらが正しいのかという疑問が起こる。

PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 5/2 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

テントの代わりにズボン

ファンションには流行りすたりがある。しかし、ジーンズはずっと流行し続けている。それらは、色々な意味で続いているファッションだ。

日本人がジーパンと呼ぶものは、英語では、ジーンズやリーバイスやデニムと呼ばれている。長い間持続する強靭な材料で作られており、リーバイス、すなわちジーンズは、若者だけではなく高齢者にも人気がある。19世紀半ばのカリフォルニアゴールドラッシュの時期に流行したあと、しばらくのあいだはすたれたが、のちにまた流行り出した。快適で、便利で、耐久性があり、リーバイスはおそらくはこれから長い間、流行り続けるだろう。

しかしながら、奇妙なことに、その素材は、ズボンのためではなく、テントのためのものだった。それらは、アメリカの商人であるリーバイ・ストラウスから名づけられた。

1829年に南ドイツに生まれたリーバイは、14歳の時にアメリカにやってきた。カリフォルニアでゴールドラッシュのことを聞いて、彼は金を探す決心を固めた。掘ることによってではなく、炭鉱夫とその妻に商品を売ることによってである。彼は、大陸を横断するのではなく、ホーン岬を船で回った。彼は大量の絹、衣服、テント用の布地を持ってきた。岬を回る航海は数週間におよび、カリフォルニアに着くまでには、彼は絹と衣服を全て売り払っていた。布地だけが売られずに残っていたのだ。

ついにサンフランシスコについて、リーバイは炭鉱夫がこう言っているのを聞いた。「何より必要なものは、こんなに早くすりきれたりしないズボンだよ。売られているズボンは、ここじゃ、持たないんだからな」

その発言を聞いたあと、リーバイは考え始めた。「テントの代わりにこの布地をズボンに使うのはどうだろうか」 そのひらめきに従って、彼は、強い布地を炭鉱夫向けのズボンを作るために使った。「リーバイパンツ」「リーバイのズボン」は、またたく間に炭鉱夫の間で人気になった。そういう風にして、ズボンは、リーバイスと呼ばれるようになった。

しかし、ジーンズという名前はどこから来たのだろうか。これらのズボンは、ジェノアのイタリアの船乗りの間でも人気になった。そこで、まもなくそれらはジーンズと呼ばれるようになった。近頃、ジーンズは、男性用でも女性用でも最も人気のある種類のズボンである。日本でベストジーニストに贈られる賞さえあることに気がついているかもしれない。これは下手な名前の付け方であるが、ジーンズが、どれほど人気があるかということを示している。君は、どのくらいジーンズを所有している?

PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 5/1 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

ティーネイジャーへのマーケティング

次の記事は、「ティーネイジャーへの挑戦」というタイトルがつけられた社説として、掲載されたものである。

ティーネイジャーよ、君たちは見張られている。君たちの興味、趣味、好きな服、聴いている音楽、好きなテレビゲーム、どんなアクセサリーに好んでお金を使っているか、その全てが記録されている。

しかし、誰が君たちを見張っているのだろうか。君たちのことについて、すなわち、君たちの好き嫌い、必要なもの、習慣、夢などについて話をしている大人でいっぱいの部屋を想像してみてくれ。彼らは、心配性の親だろうか? いや、違う。スーツを着て、代理店に勤めるただのビジネスパーソンだ。彼らは情報を集めて、現代のティーンが、どのようにお金を使っているのかということを理解しようとしている。誰が、あるいは何が人気なのかをチェックするとともに、これらの代理業者は、「ティーネイジ・マーケット」へ訴えるために何ができるかを突きとめたいと思っている。

ティーネイジャーとして、多くのコマーシャルやビルボードのターゲットになっていることに気がついているだろうか。アジアだろうとヨーロッパだろうと、ティーネイジャーは、多くのお金を使っている。そして、企業は、君たちのお金を欲しがっている。

企業は、大人がティーネイジャーのときに発達させた消費行動と同じ行動を維持すると信じている。そして、ティーネイジャーには、確かに購買力があるのだ。たとえば、スイスでは、ティーネイジャーは、普通、親から、一カ月120フランのお小遣いをもらっている。彼らは普通アルバイトをしていないが、ほとんどショッピング中毒である。ある統計によると、ティーネイジャーは、シャンプーからパソコンにいたるまで2000憶ドル以上の影響力を持っているそうだ。だから、企業は、ライバル企業がそうする前に、若い消費者のところに到達する必要がある。「どのようにティーネイジャーにアピールすることができるだろうか」というのが、商品を持った企業にとって、大きな問題なのである。

ある有名なニューヨークの広告代理店は、最近、25か国のティーネイジャーの部屋をビデオに取った。彼らの目的は何か? 平均的なティーネイジャーとはどのようなものかを探ることである。ビデオテープは、驚くべき類似性を示した。同じジーンズ、同じスニーカー、壁に張られた同じ音楽関連やスポーツ選手のポスター。広告代理店は、君たちが思う以上に君たちのことについてよく知っていて、君たちの興味を操作したり、君たちの決定に影響を与えたりすることが非常に得意だ。

時々、君たちは自分自身に尋ねるべきだ。「高すぎてかつ不必要であるものを買うようにだまされているんじゃないか」と。かつて、マイクロソフトが家庭向けに人気のあるテレビゲームを発売したとき、そのゲームのプロモーションに巨額の費用を投じた。売り上げは、初日で1憶ドルになった。それは、どんなハリウッド映画の売り上げより上だ。しかし、三カ月後、その同じゲームが、中古で、インターネットオークションサイトで、半額で手に入れられるようになった。買い手は、初日にゲームを買うようにだまされていたのではないだろうか。

だから、ティーネイジャーよ、注意せよ。君たちのライフスタイルは研究されているのだ。君たちが、トレンドを作っているか、模倣しているかに関わらず、あらゆる場所のマーケターが、熱心に君たちを見張っている。そして、君たちにもっともっと売りつけようと準備をしているのだ。

PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 4/2 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

ディオゲネス――自らホームレスを選んだ者

古代ギリシャ人は、競争的で野心的だったので、オリンピックの競技者は、その業績を非常に称賛されて、嫉妬された。しかし、ディオゲネスというある古代ギリシャ人は、群衆が彼を応援する声を聞いたこともなければ、称賛や表彰に関して気にも留めなかった。

彼は、定職を持つことを好まなかったので、そうしたいと思ったときに働いた。好きな服装をしていたので、時には物乞いに見えることもあった。ふらふらとさまよい歩いて、いつでも他人と自分の考えを共有したり、他人の考えについて話しあったりする気があった。古代ギリシャは、統一国家ではなく、多くの独立した都市から成り立っていた。しかし、ディオゲネスは、どんな都市や政府にも忠誠心を持っていなかった。誰かが彼に出身を尋ねると、「わたしは世界市民だ」と答えた。彼が今生きていたら、自らホームレスを選んでいる者、と呼ばれることだろう。

「そう呼びたければ、わたしのことを物乞いと呼んでも構わない」とディオイゲネスはよく言っていた。「しかし、もしわたしにパンをくれるなら、わたしは賢者の言葉をお返ししよう」 天気がいい時には、ディオゲネスは、戸外で、星空の下で眠った。彼はよく言っていた。「わたしと同じくらい豊かな人間がいるだろうか。大空を屋根にして、草をベッドにして、木々や花を調度品にしているのだから」 ディオゲネスは、良い天気と食事以上のものは何も望まなかった。雨が降っていたり、寒かったりするときは、あらゆる種類の場所を避難所とした。時には、樽の中でさえも。「この避難所は、家具も錠も鍵も必要としない」と彼は付け加えた。ディオゲネスは、めったにお金を持っていなかったが、裕福な人間のように暮らしていた。

ディオゲネスは、その賢明な助言によって、名を知られていた。かつて、彼は敵に勝つ方法を尋ねられたときに、こう答えた。「敵を友として扱いなさい。誰も友情の申し出には逆らえない」 彼の賢明な言葉の多くは、あらゆる時代に通用する。「知恵の導きのもとで生きるなら」と彼は言った。「必ず安心と幸福を見出すことになる。シンプルに生きれば、幸せになる。幸せというのは、持っているものに満足することの中にあるからだ」

ある日、強大な力を持つ将軍、アレクサンダー大王が、ディオゲネスに話しかける機会があった。

ディオゲネス:将軍、あなたの最大の望みは何ですか?
アレクサンダー:ギリシャ全土を征服することだ。
ディオゲネス:それならギリシャを征服したら、何を望みますか?
アレクサンダー:ペルシアとギリシャの敵全てを征服することだ。
ディオゲネス:ギリシャの敵の全てを征服し終えたら?
アレクサンダー:そのときは、力を抜いて、安心することだろう。
ディオゲネス:それなら、どうして今すぐ力を抜き、安心しないのですか?
アレクサンダー:ディオゲネス、そなたの賢明な助言に対して礼を言わせてくれ。ところで、返礼に、何かそなたに対してわたしができることはないか?
ディオゲネス:ええ、あります。将軍は、わたしと太陽の間に立っておられます。日に当りたいので、少しわきによけていただけないでしょうか。
アレクサンダー:(微笑み)そなたが心の平安を保てるように祈ろう。もしもアレクサンダーでなかったら、他の誰よりもディオゲネスになりたいものだ。

ディオゲネスは、89歳まで生き、まだ30代のアレクサンダーと同じ日に死んだと伝えられている。前者は賢明な教師として、後者は偉大な将軍であり帝王として、どちらも歴史に名を刻んだ。

PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 4/1 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

古代オリンピック

オリンピックを見ると、お気に入りのアスリートを応援して、そのアスリートが金メダルを取るように願いますか? その場にいて、オリンピックを見られたらいいのに、と思いませんか? 気づいていないかもしれませんが、オリンピックは、2500年以上前に、古代のギリシャで始まりました。近代オリンピックは、200カ国、10000人のアスリートのための国際的な活動の場になっています。その取材をするレポーターとカメラは言うまでもありません。しかし、オリンピックのルーツはどこにあるのでしょうか。それを見つけるために、古代オリンピックを振り返ってみましょう。

もし2004年のアテネオリンピックが、紀元前776年にオリンピアで開催されていたとしたら、非常に明白な違いがあったことでしょう。その初めのもので、おそらくはもっとも驚くべき違いが、全てのアスリートが裸だっただろうということです。幸いなことに、当時は、冬のオリンピックはありませんでした。だから、誰も凍死せずに済んだわけです。また、古代オリンピックは、5日間しか続きませんでした。

オリンピアは、ほとんど人がいない、小さくて埃っぽい場所です。オリンピックが開かれない期間は、人々は、寺院にお祈りに来ることしかありません。しかし、オリンピックが開かれる期間は、70000人のギリシャ市民が、スタジアムに現れるのでした。彼らは、現代のスペインほど遠くからやってきました。トイレもなければ、水道もなく、ホテルも旅館もなければ、ゴミ入れもなく、あるのは、何百万匹のハエだけです。ゴミゴミしていて、汚く、うるさく、非常に暑い。人々は、テントを立てなくてはならず、遠くから水を運ばなくてはなりませんでした。

それなら、どうして人々は来たのでしょうか。アテナからやってきた人々は、オリンピアにつくためだけに200マイル歩く必要があります。その中には、途中で死ぬ人さえいたのです。しかし、人々はやってきました。なぜなら古代オリンピックほど感動的で驚異的なイベントは他になかったからです。アスリートたちはヒーローでした。そして、観客は、彼らをスーパースターのうように扱いました。もし今日これらのアスリートの一人を見たら、おそらくはそのタフさに驚くことでしょう。たとえば、ボクサーは、硬い皮のグローブを身につけて、対戦相手の頭だけを殴りました。

オリンピックに女性が参加することは、許されていませんでした。観客は、チケットのためにお金を払う必要はありませんでした(競技は全て無料でした)。チームスポーツはなく、球技もなく、マラソンもありませんでした(最長の競走は、3600メートルでした)。古代オリンピックの勝者は、メダルを与えられませんでした。彼らが受け取ったのはオリーブの冠でした。しかし、彼らが故郷に帰ると、英雄のような歓迎を受けました。同郷の市民たちは、自分たちの町のアスリートの成功を強く望んでいましたので、オリンピックで勝利してチャンピオンになると生涯無料で食事できるようになることもよくありました。

古代オリンピックは1200年間続きました。その評判は高まり、最も人気のある勝者の像が数多く作られました。わたしたちがよく知っている近代オリンピックは1896年に始まりました。近代オリンピックは、平和と国際協調という新しいテーマを採用しました。多くの様々な文化のたくさんのアスリートが現代オリンピックに参加しています。そして、オリンピックは、もはや以前持っていた強い宗教上の要素を持たなくなっています。

しかし、一つ変わっていないことがあります。近代オリンピックでもなお参加するのは困難です。非常に才能が(そして幸運が)ないと、表彰台に登って、母国の国家を聞くチャンスは決してないことでしょう。もしそういうことがあなたの望みであれば、頑張ってください。その一方で、わたしたちは、お気に入りのアスリートを応援し続けます。

PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 3/2 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

地球、わたしたちのビオトープ

「よし、じゃあ、この植物をここの池に少なくとも一カ月の間は置いておこう。そのあと、魚を入れるんだ」と小宮先生は、生徒たちに作業を通して指導しながら言った。それは水曜日の午後のことで、生徒たちの一団は、外に出てテニスコートの裏にいた。彼らは、非常にユニークなプロジェクトを行っていた。それは、ビオトープ作りである。

教室は戸外であって、テーマは「母なる自然」である。小宮先生は、生徒たちに、生態学、すなわち、植物、動物、声明を維持する物の間でバランスを取って存在する科学、について理解して欲しいと思っていた。「来年の春の終わりまでには、数多くのトンボがやってきて驚くよ」と小宮先生は主張した。「ここは、普通の池じゃないんだから」

確かに、次の春までには、何百匹ものトンボが飛びまわっていた。しかし、また非常に多くの植物が池の中に生えていて、生徒たちはそのほとんどを取り払わなければいけなかった。雑草が狂ったように茂っていたのだ。この季節には、自然はそれほど壊れやすいものだとは思われなかった。しかし、自然は実際に壊れやすい。たとえば、オーストラリアのウサギに起こったことを取り上げてみよう。

1856年、トーマス・オースティンという名の初期の定住者が、二三十匹の野生のウサギを、イギリスからオーストラリアに持ち込んだ。彼はおそらくは、「ウサギは、狩りの獲物として人気がでる」と考えていたのだろう。しかし、ウサギは、オーストラリアの自然の生態系の一部ではなかった。天敵がいなかったので、ウサギの数は恐ろしいスピードで増えた。オーストラリアにすでに棲息していた小動物のうち75%が、この新しく入って来たウサギに圧倒された。たった8年後に、オースティン氏は、自分自身で自分の農場だけで14,000匹以上のウサギを撃ち殺さなければいけなかった、と述べた。大陸中に八億匹ものウサギがいたのだ! ウサギはオーストラリアでいまだ大きな問題であり、危険な化学物質がウサギの駆除のために使われている。

同様の問題が、グアム島でも起きた。グアムに行けば、非常な静けさに気がつく。鳥がいないのだ! かつて、ミナミオオガシラという蛇が人間のミスによってグアムに入ってくるまでは、数多くの鳥がいた。そのヘビはすばやくあらゆる鳥の卵を食べて、グアムの鳥を絶滅させた。それはその小さな島にとっての悲劇であるが、より大きな悲劇が全世界を脅かしている。

もしかしたら最大の脅威は、地球温暖化かもしれない。地球温暖化が続けば、海面は上昇し、気候は大きく変化する。モルディヴの国全体は、50年後には、海の中に消えるかもしれない。

何が地球温暖化を引き起こしているのか。ちょっと辺りを見回してみよう。スモッグや汚染、燃やされる必要があるゴミの山にショックを受けたことはあるだろうか? 軽く怒りを感じることはいたって普通のことだ。長すぎる年月、わたしたちは、結果を考えもせず環境を利用してきた。自然はわたしたちの世話をしてくれていたが、わたしたちは自然の世話をしているだろうか? わたしたちは、確実にそれをすべきなのだ。

自然は非常に広大で力強いため、地球自体が、わたしたちがその一部になっている大きなビオトープであるという単純な事実を覚えておくことが難しい。そのシステムのほんの一部を変更してしまうだけで、広範に悪影響が及ぶ可能性がある。将来、より多くの環境問題に直面することになるのは確実である。20年後に、わたしたちはやり方を変えているだろうか?

PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 3/1 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

母なる自然に向けたある若者の声

地球環境を守る手助けをするために何ができるだろうか。確かなことは、その一つが、世界のリーダー達に、地球環境が助けを必要としていることを確信させることである、ということだ。セヴァン・カリス=スズキは、まさにそれを行おうとしている若い女性である。彼女が国際的に有名になったのは、まだ12歳の頃のことだった。彼女は、ある大きな国連の会議でスピーチをした。彼女の話の要点は、未来の世界が、今日の若者次第であるということだった。

セヴァンはブリティッシュコロンビア州ヴァンクーヴァーの出身であり、そこは、カナダの中で非常に景色のいい地域だ。彼女の考えに大きな影響を与えたものは二つあるが、それは美しい自然環境とカナダに住む人々だった(ところで、彼女のラストネームのスズキは、彼女の曾祖父母が日本人だからだ)。

セヴァンの父は、よくテレビに出演する有名な科学の教授である。セヴァン自身は、幼稚園の頃から、環境的、社会的な正義を求める活動に積極的だったが、自分一人でやる必要はなかった。9歳の時、彼女と何人かの友人が、子ども環境団体(ECO)を始めた。それは、地元のプロジェクトに関わる子どもたちの小グループである。彼らは十分なお金を集めて、1992年のリオアースサミットに行った。彼らは、会議に来る政策決定者たちに、彼らの決定が若い人々に影響を与えるということを思い出させたかった。セヴァンは、以下のようにスピーチした。

こんにちは、セヴァン・スズキです。わたしは、ECO、子ども環境団体を代表してお話します。わたしたちは、カナダ出身の、12歳と13歳の変革を目指した子どものグループです。わたしたちはお金を集めて、6000マイルを移動して、あなたがた大人に行動を変えてもらいたくて、ここに来ました。今日ここにきて、わたしには、隠すべき議題などありません。わたしは、自分の将来のために戦っています。数年前までわたしは父と、ヴァンクーバーに釣りに行っていました。そのとき、わたしはそこにいる魚たちにガンが蔓延していることが分かりました。現在、毎日、動植物が絶滅、つまり永遠に消えてなくなる状態に向かっていることを耳にします。わたしはただの子どもにすぎませんし、全てのことに関して解決策を持っているわけではありません。しかし、わたしは、あなたがたに気がついて欲しいんです。あなたがたもそうだということを。

あなたがたは、オゾン層の穴の直し方を知りません。
あなたがたは、死んだ川に鮭を戻す方法を知りません。
あなたがたは、絶滅した動物を戻す方法を知りません。
あなたがたは、現在は砂漠になっている場所にかつて茂っていた森を戻すことはできません。

直し方を知らないなら、壊すことをやめてください。

カナダでは、わたしたちは非常に豊かな生活をしています。十分な食料、水、住居があり、それに時計や自転車やコンピューターやテレビも持っています。十分すぎるほど物を持っているときでさえ、わたしたちは富を失うことを恐れ、共有することを恐れています。

わたしはただの子どもに過ぎませんが、もし戦争に使われているお金の全てが、貧困を終わらせ、環境問題の解決策を見つけることに使われれば、わたしたちの地球は素晴らしいところになるだろうということは、はわかります。

どうして外に出て、子どもにやってはいけないと教えていることをやるのですか? あなたがたがしていることで、わたしは夜泣いています。あなたがた大人はわたしたちを愛していると言います。わたしはあなたがたに強く言いたいのです。その言葉を行動に反映して欲しいと。ご清聴に感謝します。

年若い女の子がこれほどのスピーチをするとは! カリス=スズキは、学校や企業、会議や国際的な集まりの場でスピーチを続けている。想像する将来の環境の為の行動の必要性についてしばしば話すことで、彼女は特に熱心に若い人々に彼ら自身の将来について発信するように促している。

PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 2/2 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

ひき逃げ

スプリングフィールドの市長であるジョン・グレイは、その夜、考え事をたくさん抱えて、激しい雨の中、オーロラ通りで車を走らせていた。天気はその週の間中、雨降りだった。雨は非常に強く、数メートルより先を見ることは難しかった。雨はフロントガラスを叩き、その間、ワイパーは左右に動いていたが、効果は無かった。「ああ、なんて天気だ。こんな雨は、忙しかった日の最後に迎えるには、最悪のものだよ」と彼はため息をついた。

グレイ市長の市政の計画はうまくいっていなかった。市民は、彼のリーダーシップに満足していなかった。市長は、スプリングフィールドの将来について決断すべきことがたくさんあったが、彼の判断をみなが批判することは好まなかった。「どうして意見がそんなに分かれるんだ」と彼は思った。「どうして、みなの意見を一致させるのがそんなに難しいんだ」 スプリングフィールドはもはや小さな町ではなく、新しいリーダーシップを要求する人々もいた。それでもなお、市長は、自分が全ての問題を処理できるのだと思っていた。

そのとき、市長は、オーロラ通りとシダー通りの交差点に近づいていたのだが、自転車に乗った人が突然、前方に現れた。市長は、自転車を避けようと努めたが、手遅れだった。市長の車の前方は、自転車の後輪にぶつかった。自転車に乗っていた人は、通りを横切るようにして吹き飛び、事故が起こったところから数メートル離れた地面に激突した。

自転車に乗っていた人がそこに倒れているのを見て、グレイ市長は、車から降りて助けを呼ぶことについて考えた。しかし、彼はパニックを起こしていた。心の中で声がした。「このニュースが公になったら、終わりだ。ゆっくりと運転していたわけだし、信号は青だった。何も悪いことはしていない」 彼は罪の意識を感じたが、捕まることを恐れてもいた。「こんなことに関わっている時間は無いんだ」と彼は心の中で言った。

市長は、車を出発させた。信号が赤であることにさえ気が付かず。「道路状況に十分に集中していただろうか」と彼は疑問を持った。なお事故について考えながら。彼はまっすぐ家に帰った。家には誰もおらず、着いたのは事故の20分後だった。なお事故のせいで心穏やかではなく、市長は、携帯電話と家の電話を切って、音楽を聴くことにした。グレイ氏は、落ち着こうとして、さっき起きたことを頭の中から追い出そうとした。というのも、あの自転車に乗った男がもっと注意すべきだったからだ。

市長はラジオをつけて、地元の新聞を読んだ。雨は激しく音を立てて降り続けた。彼は、一杯酒を飲むことにした。瓶を開けたとき、手はまだ震えていた。その後まもなく、眠りについた。一時間ほどして、市長は突然目が覚めた。なおひどく罪の意識を感じていた。あの交差点に戻れたらいいのに、と彼は思った。

市長は腕時計を見た。夜は更けて、他に誰も家に帰っていなかった。電話の電源を入れようと思ったときにちょうど、ラジオからアナウンスが入った。

スプリングフィールドラジオから、今は入って来たニュースをお伝えします。今晩、若い男性が悲劇的な道路事故でなくなりました。なくなったのはシダー通りとオーロラ通りで、自転車に乗っていたところを衝突されました。警察は、事故現場から逃走した車を探しています。怪我をした少年は、事故から30分後まで放置されていました。急いで病院に運ばれましたが、手遅れでした。午後6時35分になくなりました。なくなったのは市長の息子さんです。

PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson2/1 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

未舗装の道路から高速道路へ(そして、さらに)

わたしたちの現代の道路についてどう思うだろうか? あるものはコンクリートであり、あるものはアスファルトであり、あるものは灰色であり、あるものは黒色であるが、全て、ラインが塗られており、数え切れないほどの看板が立っている。ある都市部では、インターチェンジはごちゃごちゃとしていて、まるでスパゲッティのボウルのように見える。実際のところ、こうしたインターチェンジは、スパゲッティジャンクションと呼ばれているのだ。

世界は今日、たった100年前の姿と大きく異なっている。道路も幹線道路も高速道路も無かった生活を想像できるだろうか? 道路の始まりに戻って考えてみよう。ほとんどの古い道路は、未舗装の道路で、通るのは馬だった。しかし、ローマの昔にも、舗装された道路はあった。だから、道路は長い間、都市化の一部だったが、効率的な移動というものは現代のものである。わたしたちは、高速での移動に慣れ切ってしまっているため、何世紀もの間、道路による移動が非常に疲れるものであったことに、気がついていない。

18世紀と19世紀の間、数名のイギリスの技師が、道路、橋、運河、鉄道を世界中で作ったことで非常に有名になった。その一人が、トーマス・テルフォードであり、スコットランド出身の彼は、水の上に橋をかけたり、地上に水路を伸ばしたりすることで、道路建設を改善する素晴らしい方法を多数、思いついた。彼がしたことによって、都市への往復の移動が、以前よりもはるかに短くなった。

テルフォードの道路は、馬や、二輪車を使う人によって引かれる乗り物のために設計された。それががらりと1885年に変わった。その年、カール・ベンツという名のドイツ人技師が自動車を発明したのだ。それは何と重要な発明になったことだろう! 20世紀の初めころまでには、自動車は、急速に、主要な移動方法として、馬や荷車の代わりになっていた。この自動車の人気のために、コンクリートの道路が、古い未舗装の道路の代わりになり始めた。

ヘンリー・フォードという名のアメリカ人は、1908年に自動車の大量生産を始めた。彼のTモデルは、流れ作業で作られた最初の自動車だった。これが現代の自動車の発展における最初期の革命の一つであったことは疑い得ない。それにより、車はより安価になり、一般の人々も車を買うことができるようになった。

オートバーンと呼ばれる、世界で初めての幹線道路は、1930年代にドイツで作られた。続く70年間に渡って、数十もの国が、何千マイルもの幹線道路を作った。この幹線道路の大ネットワークのおかげで、今やロンドンからはるばるとモスクワまで、あるいは、カナダ北部から何千キロも離れたアメリカ中部までも、車で行くことが可能である。しかし、車でそんな長い旅をしたり、車の中でそんなにたくさんの時間を過ごしたりしたいと思う人が多くはないことは確実である。

わたしたちの世界はより相互につながりがあるようになってきており、互いの距離は縮み、利便性は非常に大きくなったように思われている。しかし、わたしたちはそれとともに犠牲を払う必要もできた。スパゲッティジャンクションに加えて、急速な発展によって、わたしたちは、高速道路における交通渋滞や都市におけるスモッグ汚染という問題を抱えるようになった。自動車と道路の偉大な発明家たちは、おそらくこのような問題を想像しなかっただろう。わたしたちはより速く移動しているが、前に移動しているのだろうか。移動手段における次の偉大な発展は何だろうか。
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