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PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 6/2 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

最も偉大な風景画家

「人の好みは説明できない」と、諺は言う。少なくとも芸術に関する限り、これは確かに真実である。現代芸術を好きな人もいれば、一方で古代の巨匠の作品を好む人もいる。しかし、風景画に関して言えば、ジョゼフ・M・W・ターナーは、確実に、最も偉大な画家の一人である。

ジョゼフ・ターナーは、1775年4月23日、ロンドンに生まれ、現代では、世界で最も偉大な風景画家の一人として認められている。父親は理髪師だったが、ジョゼフ自身は、生まれつきの芸術家であったようだ。ジョゼフは、ほとんど学校に通わなかったが、13歳になるまでに、彼の絵はすでに、販売のために展示されるほど良いものになっていた。1802年、26歳の時、彼は王立美術院のメンバーに選ばれた。フランス、ドイツ、イタリア、スイスなどいくつかの諸外国の旅行を通して、その教養は深まり、偉大な傑作に触れることができた。

ターナーはどこに行っても、あらゆる種類の天気の海と空をよく見た。目に見えたものだけを描くのではなく、風景を、自身の内部の感情の表現へと変えた。彼は、「顔を太陽に向けて」絵を描いたと言われている。実際に、その絵は、温かな光に満ちているように思われ、それによって、絵の中の陸地や建物や空は輝いている。

興味深いことに、ターナーは、それほど特別な人間というわけではなかった。絵が成功して人気が出たにも関わらず、いや、むしろだからこそ、ターナーは、徐々に一人で過ごす時間を持つようになった。彼は生涯結婚しなかった。話をする親しい友達もいなかった。17.王立美術院の集まりに参加することも途中でやめてしまった。時に、知り合いの誰もが、彼のことを何カ月も見ないことがあった。彼は旅を続けたが、常に一人だった。ついに、彼は1851年12月19日に、孤独な死を迎えた。ロンドンのセントポール大聖堂に埋葬されたが、そこは彼自身が選んでいた場所だった。

セントポールに埋葬されたが、彼は、その作品の中に生き続けている。彼は、光と色と空気の研究の先駆者であり、水彩だけでなく油彩でも、絵を描いた。彼はわたしたちにあらゆるテーマで何百もの美しい絵を残してくれた。その中には、田舎の日の出、海の吹雪、古代の城、燃える船、ギリシャ神話がある。それらは、多大な努力の結果である。旅行中に、約19,000枚のスケッチを描いた。あるとき、彼の乗る船が、海でひどい雪嵐に遭遇したことがあり、そのとき彼は船員に自分を船に、風が吹き荒れる戸外で結びつけるように言った。光と闇の戦いを観察するためである。その経験によって、彼の傑作の一つである「吹雪」が生まれた。

PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 6/1 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

百聞は一見にしかず(?)

円を描いてみよう。そこに何が見える? 単に丸くて白い図形が見えるだろうか。雪玉のように、もしくはひょっとして、月のように見えるだろうか。あるいは、500円や1ユーロ硬貨を思い出すだろうか。人によって、見えるものは違ってくる。

「見かけは当てにならない」という古い諺がある。しかし、「見ることは信じること」という別の有名な諺についてはどうだろうか。それは全て、頭と想像力の使い方次第なのだ。もし昨晩満月を見ていたら、その円は月のように見えるかもしれない。もしも最近雪だるまを見たり作ったりしていれば、それは大きな雪玉に見えるかもしれない。

私達が物や出来事を見る状況は、私達の考え方や見方に影響を与える。もしナイフやフォークや箸がその円の隣に置かれていたら、当然にその円を皿だと思うだろう。もしもバットやラケットやサッカーのスパイクが隣に描かれていたら、その円をテニスボールや野球の球やサッカーボールだと見るかもしれない。

同様に、月をじっくりと見ると、ウサギの形を見る人もいる。このことから、1000人が単純な図形のようなものを見ると、それが何であるかについて1000通りの異なった解釈をする、ということが分かる。ある状況では、私達の目はそれ自体がだまされるように思われる。もっとも有名な錯覚の一つは、蜃気楼である。暑い砂漠にいるとしばしば、そこに実際に無いもの、たとえばオアシスや人や村を見る。さて、次の図形を見てもらいたい。

もしこの二つの円が同じ大きさでないように見えたら、あなたは騙されていることになる。信じようと信じまいと、これらは同じ大きさなのだ。次の二つの円を取り上げてみる。一つは背景を黒にした白い円で、もう一つは背景を白にした黒い円だが、黒い円の方が大きいように見えていないだろうか? そう、実は違うのだ。測ってみれば、どちらも同じ大きさだということが分かる。目によってだまされる例がもう一つある。

次の絵を見てもらいたい。フォルダーの左側があなたに向かって開いているように見えるだろうか、それとも閉じているように見えるだろうか。それは、あなたが初めに内部を見たか外部を見たかによって左右される。

それぞれの絵に立方体はいくつあるだろうか。一方には3つ、もう一方には5つ? このページを逆さまにしてもう一度数えてみると、どうなるだろう。結果が逆になったように見えるだろう。気がつかないうちに、私達は、ものが上から光を当てられていると思ってしまっているのだ。

これらの全てから、結局のところ、「見ることは信じること」と「見かけは当てにならない」のどちらが正しいのかという疑問が起こる。

PROGRESS IN ENGLISH 21 BOOK4 Lesson 5/2 和訳 [PROGRESS 21 BOOK4]

テントの代わりにズボン

ファンションには流行りすたりがある。しかし、ジーンズはずっと流行し続けている。それらは、色々な意味で続いているファッションだ。

日本人がジーパンと呼ぶものは、英語では、ジーンズやリーバイスやデニムと呼ばれている。長い間持続する強靭な材料で作られており、リーバイス、すなわちジーンズは、若者だけではなく高齢者にも人気がある。19世紀半ばのカリフォルニアゴールドラッシュの時期に流行したあと、しばらくのあいだはすたれたが、のちにまた流行り出した。快適で、便利で、耐久性があり、リーバイスはおそらくはこれから長い間、流行り続けるだろう。

しかしながら、奇妙なことに、その素材は、ズボンのためではなく、テントのためのものだった。それらは、アメリカの商人であるリーバイ・ストラウスから名づけられた。

1829年に南ドイツに生まれたリーバイは、14歳の時にアメリカにやってきた。カリフォルニアでゴールドラッシュのことを聞いて、彼は金を探す決心を固めた。掘ることによってではなく、炭鉱夫とその妻に商品を売ることによってである。彼は、大陸を横断するのではなく、ホーン岬を船で回った。彼は大量の絹、衣服、テント用の布地を持ってきた。岬を回る航海は数週間におよび、カリフォルニアに着くまでには、彼は絹と衣服を全て売り払っていた。布地だけが売られずに残っていたのだ。

ついにサンフランシスコについて、リーバイは炭鉱夫がこう言っているのを聞いた。「何より必要なものは、こんなに早くすりきれたりしないズボンだよ。売られているズボンは、ここじゃ、持たないんだからな」

その発言を聞いたあと、リーバイは考え始めた。「テントの代わりにこの布地をズボンに使うのはどうだろうか」 そのひらめきに従って、彼は、強い布地を炭鉱夫向けのズボンを作るために使った。「リーバイパンツ」「リーバイのズボン」は、またたく間に炭鉱夫の間で人気になった。そういう風にして、ズボンは、リーバイスと呼ばれるようになった。

しかし、ジーンズという名前はどこから来たのだろうか。これらのズボンは、ジェノアのイタリアの船乗りの間でも人気になった。そこで、まもなくそれらはジーンズと呼ばれるようになった。近頃、ジーンズは、男性用でも女性用でも最も人気のある種類のズボンである。日本でベストジーニストに贈られる賞さえあることに気がついているかもしれない。これは下手な名前の付け方であるが、ジーンズが、どれほど人気があるかということを示している。君は、どのくらいジーンズを所有している?

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