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CROWN Ⅲ Lesson7/ Optional Reading 和訳 [CROWN Ⅲ]

バイリンガル能力を研究している認知神経科学者は、バイリンガル能力がどのように脳に影響を与えるかということについて意見を変え始めた。

単一言語を使う子どもと二言語を使う子どもが、言語を処理する過程には大きな違いがある。もし、5歳から6歳の子に言語の問題を与えて解かせたら、単一言語を使う子どもも二言語を使う子もも、同じ量の言語を知る。

しかし、ある地点で、違いがある。たとえば、ある非論理的な文が、文法的には正しいかどうか、子どもに尋ねるとする。「カキが靴を履いている」といったような。単一言語を使う子はこう答える。「そんなのおかしいよ」と。しかし、二言語を使う子は、こう言う。「それはおかしいけど、文法的には合っているね」と。二言語を使う子たちは、重要な情報に注意し、重要でない情報を無視する能力を持つ。

脳の中には、総支配人のような働きをする、高位のコントロールシステムがある。その仕事は、重要なことに集中させ続けることだ。もし二つの言語を知っていて、日常的に使っていたら、話すたびに、両方の言語が現れて、高位コントロールシステムが、全てを分類して、そのとき重要なことに集中する必要がある。二言語を使う人たちは、そのシステムを、単一言語を使う人々より頻繁に使って、それが、そのシステムをより効率的にしていく。

長い間、1960年代頃までずっと、二言語を使うことは不利だという伝統的な考え方があった。二言語を使うことは、両方の言語に欠点があることだと思われていた。わたしたちは、今は、その反対の事こそが真実だと知っている。二言語を使うことは、単一言語を使うことより、明らかに利点がある。

人々は母語を子どもたちに伝えるべきだ。それには、二つの大きな理由がある。第一に、母語は、子どもたちと先祖をつなぐ。第二に、二言語を使うことは人間にとって良いことだからだ。二つ以上の言語を定期的に使うことは、一種の脳のトレーニングになる。それは脳を強化する。

しかし、高校で取っている外国語学習のコースが、あなたの脳を強化すると想像してはいけない。もし脳を成長させたいなら、いつも二つの言語を使う必要がある。時々使うだけでは、二言語使用の利益は得られない。

CROWN Ⅲ Lesson7/ Section4 和訳 [CROWN Ⅲ]

バイリンガルであることは、アメリカやイギリスや西ヨーロッパのような場所では大きな問題である。なぜかというと、それらは、何世紀もの間、国民のほとんどがたった一つの言語のみを話し、他の言語を劣ったものとみなしてきたからだ。スペイン語はスペインの言語であり、フランス語はフランスの、英語はイギリスのものだった。他の言語はどんなものであれ重要ではないと考えられ、あるいは、フランコ政権時のスペインのように抑圧された。他の国も同様のことをした。百年以上前、ウェールズでウェルシュ語を話すのを誰かに聞かれたら、罰せられた。同じことが、北西フランスのブルターニュで、学校でブルトン語を話すのを聞かれた場合に、起こった。今日、これらのコミュニティは反抗しており、彼らの言語をもう一度尊重するよう求めている。バイリンガルであることは政治的な問題なのだ。

世界の一部では、支配的な言語が、その言語を使う国々が巨大な帝国を築いた結果である場合がある。ある国が他国を征服すると、その結果は普通、負けた国が侵入者の言語を採用して、それを公用語にするということになる。そういうわけで、南、中央アメリカのほとんどの国々は、スペイン語やポルトガル語を話し、フランス語や英語が多くのアフリカの国々で使われており、英語が、北アメリカ、南アジア、オーストラリア、ニュージーランドで使われている。バイリンガルであることは、そこでもまた政治的な問題になりうるし、特に、新しい言語が既存の言語の存在を脅かすときはなおさらである。

二国語を使いこなせることや、あるいは多言語を使いこなせることは、やはり、わたしたちが住むグローバル化した世界の変えることができない事実である。わたしたちの母語がわたしたちのアイデンティティを確立し維持するのに重要な役割を果たすという事実を考慮すると、言語の多様性を促進することは非常に重要である。多言語を使いこなす能力の周辺にある政治的な問題によって引き起こされるかもしれない闘争の可能性があるにも関わらず、わたしたちは、忍耐と対話によって、その困難を克服する必要がある。というのも、わたしたちの母語を抑圧されることなく自由に話すことができることは、わたしたちにとって、わたしたちの母語が、わたしたちの遺産を保持し発展させるために必要不可欠なものであるという理由で、非常に価値があるものだからである。

【語句解説】
inferior「より劣った」 unimportant「重要ではない」 Welsh「ウェルシュ語」 punish「罰する」 Breton「ブルトン語」 Brittany「ブルターニュ」 political「政治の」 dominant「支配的な」 invader「侵入者」 Portuguese「ポルトガル語」 globalized「グローバル化した」 linguistic「言語の」 despite「~にも関わらず(※前置詞)」 tolerance「忍耐」 dialog「対話」 sine qua non「ぜひ必要なもの」 heritage「遺産」

CROWN Ⅲ Lesson7/ Section3 和訳 [CROWN Ⅲ]

時々、わたしたちは新聞で、ある国の人が自分たちの言語を支援するために行進する様を読む。暴動やハンガーストライキさえあるかもしれない。これはケベック州で起きていることだが、フランス語の話者が、自分たちの言語がより社会的に重みを持つことを求めている。これはベルギーで起こっていることだが、フランス語の話者と、フラマン語の話者がしばしば争っている。それは、ウェールズや、インドや、他のいくつかの国々でも起こっている。なぜ、このようなことが起こるのか。それは、その人々が、自分たちの言語の重要性を非常に強く感じているため、それを保持するためにあらゆる努力をする用意があり、さらには、暴動やハンガーストライキの中で命を危険にさらすところまで発展するのである。

それらの出来事の中でもっとも有名なものの一つは、1952年の2月21日、ダッカという当時の東パキスタン(現在のバングラデシュ)で起こった。学生のグループがデモを組織して、ベンガル語をウルドゥ語とともに東パキスタンの公用語として使用することを支援した。警察は銃器を使って、幾人かが死んだ。その瞬間のことは忘れられていない。国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、1999年11月に、2月21日を国際母語デーと宣言して、世界の全ての母語を祝うことに決めた。

記念日はわたしたちに物事の重要性について思い出させてくれる。そういうわけで、わたしたちは誕生日や祝日を持つ。わたしたちは、言語の記念日をそれほど持っていないので、記念日が実際に来た時に、それらの記念日を思い出すのはいいことだ。毎年、大きなものでは、年にたった二つの日しかない。2月21日の国際母語デーに加えて、9月26日のヨーロッパ言語の日だ。それらは、同じ目標を共有している。それは、人々に言語の多様性の重要性に気付かせ、言語学習と二ヶ国語を使いこなせることを促進することだ。

march「行進」 riot「暴動」 hunger「飢餓、空腹」 Quebec「ケベック州」 presence「存在」 Belgium「ベルギー」 Flemish「フラマン語」 Wales「ウェールズ」 importance「重要性」 length「長さ」 Dhaka「ダッカ」 Bangladesh「バングラデシュ」 organize「組織する」 demonstration「デモ」 Bengali「ベンガル語」 alongside「~と並んで(※前置詞)」 Urdu「ウルドゥ語」 UNESCO「国連教育科学文化機関、ユネスコ」 declare「宣言する」 celebrate「祝う」 anniversary「記念日」 diversity「多様性」

Lesson7/ Section2 [CROWN Ⅲ]

なぜ移民は自分たちの言語を維持するのだろうか。なぜ古い言語を捨てて、世界の新しい地域に来た時に新しい言語を習わないのだろうか。もちろん、多くの者はそうするが、多くの者は彼らの第一言語を維持しようとあらゆる努力をして、できるときはいつでも話して、その言語が使われる地元のコミュニティを作り、子どもたちにその言語を教える。そうして、迎え入れる国も、しばしば、多言語を使えることを奨励して、余裕がある限り、できるだけ多くの言語でサービスを提供している。

多くの日本の都市は、韓国語、中国語、ポルトガル語、英語を含めて多様な言語で公共サービスを提供している。警察や裁判所もまた、多言語に対応できるよう通訳をおいている。日本の至るところで、電車や地下鉄の駅の多くの看板が、韓国語、中国語、英語で書かれている。テレビでは、ニュースが毎日、数ヶ国語で放送されている。

もし別の国に住みたいなら、母語を完全に後に残していきたいだろうか。明らかに、残したくはないだろう。母国には、話をしたり手紙を書いたりしたい友人や親戚がいる。たとえいなかったとしても、あなたの頭の中には、あなたの文化に関する知識と記憶が詰まっている。母語はアイデンティティ、すなわち自分が誰なのかという感覚の一部を形成している。そうして、人がもっともよく知っている、一緒に育った人々の集団のアイデンティティの一部も形成している。

そういうわけで、自分たちの言語が侮辱されたり無視されたり、あるいは最悪の場合として、禁止されたりしたら、その人たちは怒り出す。政府が一地方の言語を公に使用することを禁止するのを見るのは、全然珍しいことではない。フランコ司令官がスペインの支配者だったとき、スペインが公に使用することを許された唯一の言語だった。カタルーニャ語やバスク語やガリシア語などのスペインの一地方の言語は、抑圧された。子どもに地元の言語の名前をつけることさえできなかった。現在では状況は異なっている。

【語句解説】
welcoming「迎え入れる」 multiple「多数の」 court「裁判所」 subway「地下鉄」 broadcast「放送する」 identity「アイデンティティ」 insult「侮辱する」 ignore「無視する」 ban「禁止する」 Catalan「カタルーニャ語」 Basque「バスク語」 Galician「ガリシア語」 repress「抑圧する」

Lesson7/ Section1 [CROWN Ⅲ]

ある国には普通、その国民のほとんどが話す言語がある。しかし、彼らのほとんどは、また他の言語も話す。さらに、移民になるものもおり、育てられた国の言語を話すこともある。すべての国では多言語が話されている。いくつかの国では、驚くほどそうである。たとえば、アメリカでは数百もの言語が話されている。

わたしたちはしばしばイギリスを世界の中で一ヶ国語しか使わない地域だと思っているが、ブリテン島でさえ、今日では非常に、多数の言語が用いられている。その歴史の早い段階から、そこは多言語的だった。アングロサクソン民族が5世紀にその国に到着したとき、彼らは、人々がラテン語(ローマ人がブリテン島に来たときから使うようになった)と、さまざまなブリテン島の言葉を話しているのを聞いた。他の大陸諸語も、おそらく、ブリテン島とヨーロッパのそれ以外の国々の交易の結果として、ブリテン島で話されていた。

今日、莫大な数の移民のため、イギリスにおける多言語が使われる割合は急増した。インナー・ロンドンの小学校の半分では、生徒の半分以上が、母語として英語を話さない。そして、高校でも、その数はそれほど低くなく、40%である。1999年、ロンドンの学校の850,000人の子どもたちを対象とした母語の調査において、300言語以上が利用されていることが分かった。もちろん、もっとも一般的なものは英語だった。そのあと、アジアのいくつかの言語が続き、地中海諸国の言語が来て、アフリカの言語が続いた。

ニューヨーク市でも状況は似通っており、そこでは、カリブ海の地域のスペイン語を話す多くの生徒や、もっと最近ではアジア人の生徒のために、コミュニケーションの問題が特に学校で起こっている。5歳以上の全てのニューヨーカーのうちたった72%だけが、家で英語を話しているにすぎない。結果として、学校では、英語を第二言語として教える必要に迫られている。

【語句解説】
immigrant「移民」 multilingual「多数の言語を使いこなせる」 monolingual「一つの言語しか使えない」 Britain「ブリテン島」 Anglo-Saxon「アングロサクソン族」 continental「大陸の」 trade「貿易」 multilingualism「多言語使用」 Inner London「インナー・ロンドン」 survey「調査」 Mediterranean「地中海」 arise「発生する」 Caribbean「カリブ海の」

Lesson7/ Before You Read [CROWN Ⅲ]

バイリンガル能力とは、二つの言語を同じくらい上手に話せる能力のことを指す。人間が二ヶ国語を話せることは普通のことだ。人間のおよそ4分の3が、二ヶ国語以上話しながら成長している。それは、世界では非常に自然なことなのだ。人々は家で一つの言語を話す。彼らは市場に行くと、そこでは、異なった言語を話す。彼らは学校に行ったり教会に行ったりすると、そこではまた別の言語を使う。世界の多くの文化が出会う地域では、街路は異なった言語でごちゃまぜの状態であり、その人々はそれらの言語を少しずつを知っている。パプアニューギニアには、850を超える言語がある。

公用語を二つ以上にしている国もある。カナダは、フランス語と英語の二つ。スイスは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つ。日本で一般に話されている言語はいくつだろうか。英語が日本の公用語になるべきだと提案している人もいる。あなたはどう考える?

【語句解説】
billingual「バイリンガル、二言語を自由に話せる」 billingualism「バイリンガル能力、二ヶ国語を使える能力」 refer「言及する」 normal「普通の」 quarter「4分の1」 marketplace「市が開かれる広場」 jumble「ごちゃまぜ」 Romansch「ロマンシュ語」

Lesson6/ Optional Reading [CROWN Ⅲ]

ドーキンズ教授はわたしたちに1917年のある時、二人のイギリス人の女の子が野原で遊ぶ妖精の写真を撮ったときのことについてのことを話してくれる。その写真は偽物だったが、多くの人は、有名な人でさえも、それが本当であると信じてしまった。

そのようなことは現代の世界でも起こりうるのだろうか。

ネッシーについて聞いたことがあるだろうか。

数百年の間、人々は、スコットランドハイランドの大きな湖であるネス湖に、海の怪物が棲んでいると報告してきた。「ネス湖の怪物」、あるいはそれを簡略化して「ネッシー」と呼ばれたその怪物は、湖の深くに棲み、ときどき湖面に上がってくる、蛇に似た巨大な生物のようである。ネッシーを見たと最初に報告した人は、6世紀の聖コルンバだった。

より現代に近づいた時代、1930年代、ネッシーの目撃例がいくつか現れた。その怪物が湖で泳いでいるところを意味する写真さえあった。科学者たちはそのような生き物が湖に生きることはありそうにないことだと思っているが、絶対にありえないと言うことはできない。実際に、ネッシーの探索に科学的な調査が何度か行われ、そのうちの一部は、有名な大学によって資金を提供されていた。しかし、今までのところ、誰も決定的な遭遇にはいたっていない。

2003年に科学者たちが600機のソナーと衛星技術を使って行ったのが、最近の捜索である。彼らは、小さなボートを取り上げて十分な分析を行った。どのような大型の動物も見つからなかった。調査チームの大いなる期待にも関わらず、科学者たちは、ネス湖の怪物は単なる神話であったと認めざるを得なかった。

たとえそうであっても、地元住民は、まだ海の怪物が彼らの湖に生きていると信じている。

ドーキンズ教授は、わたしたちに、「奇跡や魔法や神話は楽しいかもしれない……」と言う。しかし、実際に、それらが本当であるということを信じる者はいない。ネッシーは、単なる神話に過ぎないのだろうか。

Lesson6/ Section4 [CROWN Ⅲ]

さて、超自然的なものという考えを振り返り、それがなぜわたしたちに、わたしたちが身の回りの世界や宇宙で見ているものについて、真実の説明を提供することができないのかを説明してみたい。実際に、あることについて超自然的な説明を主張することは、そのことを説明することには全くならず、さらに悪いことには、そのことが説明されるあらゆる可能性を排除してしまうことになる。なぜわたしはそのように言うのか。超自然的なものは、何であれ、定義によって、自然的な説明の射程を超えているはずからである。それは、科学や、わたしたちが400年以上に渡って享受してきた大いなる知識の進歩を導いた、試行と実験を経た科学的な方法の射程を超えていることになる。何かが超自然的に起こったと言うことは、単に「わたしたちはそれを理解できない」と言うだけではなく、「わたしたちは今後それを理解することはないから、試行することさえしない」と言うことでもある。

科学はまったく逆のアプローチをする。科学は、今のところあらゆることを説明することはできない、という無能力さにおいて発展し、その無能力さを、問い続け、可能な仮説を立て続け、実験し続けるための拍車として利用し、その結果、わたしたちは道を少しずつ切り開き、真実に近づいてきた。もし、わたしたちの現在の現実理解に反することが起きたとしたら、科学者はそれを困難な課題だと見るだろう。彼らは現在の仮説を捨てるか、少なくとも、それを変えることだろう。わたしたちが真実であるものに徐々に近づくのは、そのような変化と、それに続く実験を通してである。

奇跡や魔法や神話は楽しいかもしれないが、真実もそれ自身で魔法を持っている。実は、真実とは、その語の最良のそして最も刺激的な意味において、どんな神話や奇跡よりも魔法的なのだ。科学はそれ自体で魔法を持っている。現実という魔法である。それは超自然的なものでもなければ、手品でもないが、まさに神秘的なものだ。神秘的で現実的。現実的だからこそ神秘的なのだ。

【語句解説】
universe「宇宙」 definition「定義」 advance「進歩」 exactly「正確に」 thrive「繁栄する」 inability「無力、無能」 spur「拍車」 hypothesis「仮説」 abandon「捨てる」 present「現在の」 subsequent「続いて起こる」 testing「試験」

Lesson6/ Section3 [CROWN Ⅲ]

実際に起こったことを取り上げてみよう。1917年、フランシス・グリフィスと、エルシー・ライトという二人の若い従姉妹同士が写真を撮り、彼女たちはそれを妖精についてのものだと言った。現代的な目で見ると写真は明らかに偽物だったが、当時は、写真はまだ目新しいものであって、シャーロック・ホームズの生みの親である偉大な作家、アーサー・コナン・ドイル卿でさえ、彼らにだまされてしまい、また他のかなり多くの人々もだまされた。数年後、フランシスとエルシーが年をとったとき、彼女たちは実際のところを明かし、「妖精」は単なる紙の人形だったことを認めた。ここで、ヒュームのように考えてみて、そして、なぜ、コナン・ドイルと他の人々が嘘に引っかからないようにすべきだったのか考えてみよう。もしそれが本当だったら、次の内どちらの可能性の方がより奇跡的だとあなたは思うだろうか。

1.実際に妖精はいて、花の間を飛び回っていた。
2.エルシーとフランシスは、写真を偽造していた。

実際は比べ物にならないだろう。子どもたちはいつでも空想をするし、空想するのはかなりたやすいことだ。たとえあなたがエルシーとフランシスのことをよく知っており、二人が常に、人をだますなんてことを夢にも見ないような正直な子どもたちだったと感じていたとして、もしも彼女たちがウソをついたらそれが奇跡になるとして、ヒュームならどう言うだろうか。彼なら、彼女たちがウソをつく奇跡は、なお、妖精が存在することよりは小さな奇跡だと言うだろう。

わたしたちが理解できない何かが起こったとしよう、そうして、それがどのようにして手品であったり嘘であったりするのかが分からないとしよう。それを超自然的なことに違いないと結論づけてしまうのが正しいことなのか。いや、違う。そんなことをすれば、さらなる議論や調査を止めてしまうことになるだろう。

【語句解説】
fairy「妖精」 fake「偽物」 photography「写真」 possibility「可能性」 flit「飛び回る」 contest「競技、競争」 make-believe「空想」 truthful「正直な」 discussion「議論」 investigation「調査」

Lesson6/ Section2 [CROWN Ⅲ]

デイヴィッド・ヒュームは、18世紀のスコットランドの有名な哲学者であるが、奇跡について、ある賢明な指摘をした。彼は、奇跡を自然法則の破壊と定義づけることから始めた。思念の力だけで時計を止めたり動かしたりすることや、カエルを王子に変えることは、自然法則の破壊の好例である。そのような奇跡は、科学にとっては実に不穏なものになるだろう。もし奇跡が起こっていたら、それは本当に不穏なものである。そこで、われわれはどのように奇跡の話に反応するべきなのだろうか。これが、ヒュームが取り組んだ問題であり、彼の答えはわたしが指摘した賢明な指摘だった。

もしもヒュームの実際の言葉を知りたいなら、それは以下のようなものだ。

奇跡を証明するのに十分な証言など無い。ただし、その証言が、その証言が証明しようとしている事実よりもその嘘の方がよほど奇跡的である場合は、別である。

ヒュームの言いたいことを言い換えてみよう。もしジョンがあなたに奇跡が起こったと言った場合、あなたは、ジョンが嘘を言っている(あるいは間違いを起こす)ことの方が奇跡的である場合に限って、それを信じるべきだ、ということだ。たとえば、あなたは、「わたしは命をかけてジョンを信じている。彼は嘘をついたことがないし、ジョンが嘘を言ったとしたら、それこそが奇跡だよ」と言ったとする。それは本当かもしれないが、ヒュームならこのように言うだろう。「たとえどんなにジョンが嘘をつくことがありそうになかったとしても、ジョンが見たと主張している奇跡よりもありそうにないことなのかな?」と。たとえば、ジョンが、牛が月の上を飛んでいるところを見たと主張したとする。どんなにジョンが正直だとしても、彼が嘘をついていると考えることは、牛が実際に月の上を飛ぶことよりも奇跡的ではないだろう。だから、あなたはジョンがウソをついている(あるいは間違っている)という説明を好むべきなのだ。

【語句解説】
Scottish「スコットランドの」 thinker「哲学者」 clever「賢明な」 breaking「破壊」 law「法則」 frog「カエル」 disturbing「不穏な」 testimony「証言」 sufficient「十分な」 falsehood「嘘をつくこと」 miraculous「奇跡的な」 honest「正直な」 mistaken「間違った」
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